B型だもの。

分散化していく世界の片隅で。

谷崎潤一郎の作品の中で一番好きなのは、以下の一節。

たしか寺田寅彦氏の随筆に、猫のしつぽのことを書いたものがあつて、猫にああ云ふしつぽがあるのは何の用をなすのか分からない、全くあれは無用の長物のやうに見える。人間の体にあんな邪魔者が付いてゐないのは仕合せだ、と云ふやうなことが書いてあるのを読んだことがあるが、私はそれと反対で、自分にもああ云ふ便利なものがあつたならば、と思ふことがしばしばである。

私は恰も自分が尻尾を生やしているかの如く想像し、尻がむず痒くなるのである。そして、「はい」とか「ふん」とか云う代わりに、想像の尻尾を振り、それだけで済まして置くこともある。猫の尻尾と違って想像の尻尾は相手の人に見て貰えないのが残念であるが。
『陰影礼賛』(「客ぎらひ」) 

さすが文豪。まったくである。

もしも私にしっぽがあったなら、返事の代わりにパタパタするだけで済むのに。嬉しい時はぶんぶん振り回すし、悲しい時にはだらりと下げて、寒い日にはフサフサのしっぽにくるまって眠るのに。

人工知能よりも、人工しっぽを開発してくれないものか。と思っていたら、類似商品がすでに世に出ていた。NECOMIMI(猫耳)。

脳波でうごくネコミミ(necomimi)

脳波と連動し、集中すると耳はピンと立ち、くつろぐと耳はぺたんこになるらしい。すばらしい。

数年後には、道を歩く人々が、ある人はOculusをつけてバーチャルの世界に遊び、ある人は猫耳をつけ、ある人はしっぽを揺らしながら歩いているのかもしれない。それぞれの世界で。

技術の進化は、人間を多様に、より自由なものにしていく。たぶん。
このエントリーをはてなブックマークに追加