B型だもの。

分散化していく世界の片隅で。

自分が学校で受けてきた歴史教育を振り返ると、3つの不満がある。

ひとつは史実の暗記にとどまり、現在とどうつながっているかという視点が希薄なこと。ふたつめは、経済の観点がないこと。みっつめはインテリジェンス(情報)の観点がないこと。

歴史教育におけるこの3つを改善するだけで、日本人の戦略的思考とか、経済やインテリジェンスのリテラシーは激変するんじゃなかろうか。

とゆー不満が吹き飛ぶくらい面白かったのは、ライフネット生命保険の出口治明会長の「仕事に効く教養としての『世界史』」。

歴史を学ぶ意味について、冒頭でヘロドトスの『歴史』から数行を引用して「先人に学べ、そして歴史を自分の武器とせよ」と意訳する。そして、ご自身がワルシャワでのスピーチで彼の地の歴史に言及して喜ばれたエピソードと共に、以下のように記述する。

>いろいろな歴史を知っていると、人々とコミュニケーションをとるときの最初のバーが低くなる。だからビジネスをしている人にとっても、歴史は役に立つのです。つまり、仕事に効くのです。これがこの本を書いた理由です。

目次からして圧倒される。「世界史から日本史だけを切り出せるだろうか」、「交易が、歴史の重要なキーワードである」、「歴史は、なぜ中国で発達したのか」、「神は、なぜ生まれたのか」・・・。

この本で得られる知識や視点は、上記のように異国の人々とのコミュニケーションに役に立つだろう。しかし本当に活きるのは、広大な時間軸と空間軸の中で、物事の本質を見抜き、世界を再構築する力。そして、自身の世界観を養う力だと思う。

読んでいて鳥肌が立ったのは、第4章の「中国を理解する四つの鍵」で、紀元前3世紀に始皇帝がつくり出した中央集権の郡県制を取り上げて、

「基本的にこの国を支配する人間集団や組織は貴族ではない。それはエリート官僚である」ということです。人民を支配するのは、皇帝が任命した選りすぐりの賢い官僚なのです。BC3世紀のことですから、始皇帝の政治的な天才振りには驚くばかりです。そして中国は、いまもこのグランドデザインで動いている国だと思います。

という箇所。始皇帝以来の二千年余、幾度となく王朝が替わり皇帝が生まれ、共産主義国家が支配するようになっても、国のグランドデザインは同一であるという喝破。それによって時の権力の変遷に翻弄されることなく、相手の風習やメンタリティを理解することができる。この本質を見極めることが、インテリジェンス(知性であり情報再構築力)なのだと思う。 

そして、自身の世界観を養う力。松岡正剛氏が以下のように言っておられたのを思い出す。

イタリアの優れた靴職人は、みなダンテを読んでいます。ダンテのどの章が好きかということと、靴を作ることは密接に関係している。でも、日本人は、源氏物語や徒然草のここが好きだ、という思いと、日常生活やビジネスとは関係がない社会を作ってしまった。

本来、すべての仕事に哲学があるべきであり、その人の世界観が仕事に表れるのだと思う。世界をどう捉えているか。過去から学んでいるか。自身の中にどれほど巨大な時間軸を持ち、その中に、己の生や仕事を位置づけているのか。出口氏は別の著書の中で、以下のように書いておられた。

「人間は巨人の肩に乗っているから、遠くを見ることができる」というフランスの古い言葉があります。
この巨人とは何を指しているかというと、一般には古典の著者のことですが、私は教養そのものの擬人化された表現であると解釈しています。


先人が積み重ねてきた偉大な知の蓄積を学ぶことは、世界をより広く、高みから見渡す何よりの術。そういえば2年前のG1サミットでは、茂木健一郎氏が「読んだ本の高さだけ世界が広がる」とおっしゃっていた。同じ話なのだと思う。

一流の仕事をしている人で、知識や学びに貪欲でない人を見たことがない。圧倒的なまでのインプットが習慣化している人ばかりだ。すべての知が仕事につながり、自分の人生を豊かに、何十倍にも何百倍にも輝かせる。歴史は知の最たる集積なのだと思う。



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