B型だもの。

分散化していく世界の片隅で。

ニセコで美味しいランチを探して、食べログで見つけた「そば処 楽一」。

手作り感溢れるログハウスのお店。寡黙なご主人と美人の女将さんと二人でやっている。

メニューは、蕎麦が三種類と季節野菜の天ぷら、計四種類。それにビール、日本酒、焼酎など。日本酒は四国のものが多い。天ぷらとせいろ、ビールとお酒を頼む。

天ぷらは、茄子やししとう、かぼちゃなどの夏野菜。口に入れると、さくさく、からっとした衣が歯に当たる。噛むと、力強い夏野菜の甘みがじゅわー。野菜がうまい。生命力がある。太陽の光をめいっぱい受けて育った野菜の力をいただく。

ご主人が、そば粉を練った塊を取り出して、伸ばし始める。薄く延ばされて重ねられたそばは、十割というのが信じられないほど、つやつやしている。細く切り揃えられたそばを持って、ご主人が厨房に戻る。

そばの薬味は、山葵、ねぎ、それにとろろの入った小鉢が添えられている。

出てきたそばは、香り高く、すべやかで、喉からするりと胃の腑に落ちる。そばの野趣ある香りが鼻腔に抜ける。

都内では、神田や並木の藪、まつや、室町砂場などに行くけれど、そうした名店と比べても、まったく遜色がない。鄙には稀な、ではなくて、鄙だからこそ得られる素材の力、勢い。それに、確かな技術が加わって、得難い味となる。

食べ物は、自然の力を自らの体にいただくこと。草の実や野菜を、こねくり回すのではなくて、一番おいしい方法で食べる。連綿と受け継がれた、その営み。

都会の洗練や利便性は、捨てられない。

けれども、土地がつくり出す食べ物の勢い、土と太陽の恵みを自分にいただくという食の原点、そんなものから、遠くなりすぎずに生きていきたいなと思う。

文化というのは、大量生産・大量消費のプロイラーの中にあるのではなく、生産物の手触り、つくり手のこだわりや思いを受け取ること、その一個一個の美学や関係性の中にこそあるのだろう。
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